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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『台所太平記』



豊田四郎『台所太平記』、

作家の森繁久彌は京都から伊豆山に移り住んだが、その間、何人もお手伝さんが変わった。

森光子は戦前派の貧しい家の生まれの女中で、女中の仕事に徹していたので婚期を逃していたため、森繁と淡島千景夫婦は薬局の主人山茶花究と見合いさせる。

しかし森は姉が紹介した相手と結婚してしまう。

乙羽信子は酒好きの明るい女中だったが、森の弟の漁師フランキー堺と結婚し去って行く。

気のいい京塚昌子は二人が去った後も女中を続けるが、やがてペンフレンドの松村達雄と結ばれる。

その後、森繁夫婦は京都から伊豆山へと移り、新たに大空眞弓、池内淳子、団令子を雇うが、大空は団に色目を使う浮気な恋人のタクシー運転手小沢昭一に振り回され、団と喧嘩していた。





谷崎潤一郎の原作を映画化した東宝喜劇映画。

戦前から戦後にかけ、作家の家の台所仕事を担っていた歴代の女中たちの変遷を描いた映画である。

原作には、谷崎が文章の読み聞かせをする教育的徒弟修業の側面が出ていたり、他の谷崎作品に見られる若い女性との関係性の深層意識が出ているとも言われるが、映画の方は、森繁、淡島の気のいい作家夫婦の合間を随分個性的な女中たちがワチャワチャ騒いだ挙句、通り過ぎていくのがやたらと目立つばかりの喜劇展開である。

森光子は一応戦前派を代表する女中という設定だが、戦後民主化後の封建的な家制度の崩壊云々がそこにちゃんと描かれているようには見えない。

乙羽信子など、てんかん持ちという設定だが、やたらと酒好きでファンキーな女中で、コミカルさばかりが喜劇的に強調されている。

女中からお手伝いさんと呼ばれる存在に変わっていく時代の変遷をまあまあ描いてはいるが、喜劇タッチなので、そこをそう深刻に描いている風でもない。

だから谷崎原作の映画化が、こんなに能天気で明るいタッチの典型的な東宝喜劇映画になっていることに一番意外性が感じられる。

しかし淡路恵子が作家森繁のファンで女中になったのに、森繁に嫌われてクビになるという展開はちょっと谷崎らしい。

また、それに怒った女中仲間の水谷良重が森繁に意見すると、森繁が「君のことは好きだから」とか言いだし、水谷は理不尽さから女中を辞めてしまい、結局二人の女中を失うという顛末も、少し谷崎っぽかったりはする。

その後は、大空眞弓、池内淳子の新東宝出身組と団令子が女中となるが、何故か小沢昭一がモテモテで、大空は浮気な小沢としたたか娘な団に振り回され、真面目な池内がその合間でヤキモキしている構図となる。

しかし最後は大空と小沢はちゃんと結婚し、池内も旅館の番頭三木のり平と結婚して、ダブル結婚式のハッピーエンドとなる。

このダブル結婚式で、大空と池内の新東宝組が文金高島田を使いまわししているところは中々面白い。

団はその後、映画スターの付人になるも、炭坑で働く父が事故死し、九州に帰るが、そのことで森繁と淡路に団が挨拶にくる場面には自分勝手な悪女風に見えていた団のいじましさが描かれている。

入れ代り立ち代りお手伝さんがやって来ては去っていくことをひたすら描いただけのシンプルパターンの映画だが、森繁、淡路夫婦が、最後の随分現代的なお手伝いさん中尾ミエに至るまで、それぞれの女中の人生に優しい視線を向けており、女中たちの人生の幸せをいつも祈っている温かみが全編に感じられるところが中々良い。

それが東宝喜劇タッチによく合っている、わりとほんわかした楽しい喜劇映画の一篇。 2020/07/04(土) 00:06:11 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

『何処へ』



佐伯幸三『何処へ』、

加山雄三は、岐阜県羽島市の田舎町の中学に英語教師として赴任する。

溌剌としたイケメン教師加山が田舎町にやって来たことで、芸妓の星由里子や、出戻りバツイチ娘の稲野和子、教師の原恵子に、加山のクラスの生徒・二瓶康一(火野正平)の姉・沢井桂子などの女たちは色めき立ち、妙に加山に気のある素振りを見せ、加山も満更でもなかった。

職員室には、田舎の長閑な雰囲気とは逆に、校長の東野英治郎派と教頭の山茶花究派に分かれての派閥争いがあった。

ある日、体育教師の渥美清が生徒を殴ったことから緊急職員会が開かれ、体罰賛成派の渥美と反対派の加山の議論となる。

善人だが気の弱い東野校長は、芸妓の姐さん池内淳子に惚れていたが、実は池内は、東野が苦手とするPTA会長・田崎潤の愛人だった。

そんな頃、二瓶が中学生同士の喧嘩に巻き込まれるが、仲裁しようとした加山は、生徒たちを投げ飛ばしてしまう。

体罰否定論者のはずの加山は、この事件から白い目で見られるが、その後、数学教師の久保明は、思いを寄せる原恵子が加山に気がありそうなことに嫉妬し、酔った勢いもあって、加山に決闘を申し込んで襲いかかってくる。






石坂洋次郎の原作を映画化した作品。

一言で言うと、岐阜県羽島を舞台にした、田舎版若大将映画みたいな内容で、加山だけでなく、女優陣も星由里子に沢井桂子とダブっていたりする。

加山が田舎町にやって来て、妙齢の女性からモテまくり、加山も満更じゃない様が描かれていくが、何故か加山は、「若大将」シリーズの時以上に美しく妖艶でキャラも立っている、一番魅力的な星由里子には言い寄られるばかりで大して気がなく、沢井桂子に一番気があり、他の稲野和子や原恵子の方にも気があるという好みだが、なんだか星が芸妓だからまともには付き合おうとしないようにも見える。

二瓶康一時代のまだ17歳の火野正平が、見た目すでに火野正平まんまの中学生の子供役で出ているが、この人は若い頃から芸達者で、すでにちゃんとした個性派俳優として好演している。

渥美清が(今なら大問題の)体罰肯定派の教師役で出ているが、別に強面役ではなく、相変わらずの愛嬌を見せて映画を明るくしている。

特に段々仲良くなる加山と渥美のツーショット場面には、見ているだけで眼福なほどの多幸感が漲っていて、二瓶が木に登ってしまい、下から注意する渥美と加山の場面の長閑な愉しさには、この牧歌的な明朗喜劇映画の多幸感が特に感じられる。

池内淳子がすぐに胃痙攣を起こす様や、東野と山茶花のユルイ派閥争いなども描かれるが、しかし結局、全ては長閑な喜劇調で描かれ、最後はユルユルとみんなが仲良くなってしまう明朗極まるムードとなる。

逆に終盤は、それまでモテモテな加山が若井や稲野、原にフラれる格好になり、最後は一番美人で妖艶で明るい上に加山にゾッコンで惚れてくれている星由里子と加山が二人でゴーゴーダンスだかモンキーダンスを踊って終わり、何故か一番魅力的な星と加山が結ばれるわけでもなく、加山がこの土地から離れる決心をして終わってしまう。(続編に続く)

加山が軽く一曲歌う場面も挿入して「若大将」シリーズ的にしてはいるが、まあいずれにしても、田舎町の牧歌的かつ明朗な多幸感溢れる東宝喜劇映画になっているところが一番魅力の、長閑で愉しき一篇。 2019/12/10(火) 00:06:38 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

『妻という名の女たち』

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筧正典『妻という名の女たち』、

司葉子は夫の小泉博が浮気していることなどまるで知らなかった。

ある時、平凡な司の家庭に、左幸子がやって来て、小泉から株を貰う話になっていると言い出す。

実は小泉は、バーのマダム左と伊豆へ行って不倫を始めてから、女房の司とは別れると左に言ってきた。

その言葉を信じて左は小泉と付き合ってきた。

小泉の浮気にショックを受けた司は、一旦は家出したものの、結局実家には帰らず、友達の団令子に今自分から別れたら損だと説得されてまた家に帰るが、そこには小泉と左がいた。

急な司の帰宅に焦った小泉は、左を帰してから、あの女とは別れると約束する。

しかし、小泉は相変わらず左のところに泊まり一週間も帰ってこなかったが、それでも司は小泉の帰宅が嬉しかった。

小泉はその後も外泊し、ほとんど家に帰って来なくなるが、その頃、小泉の父の藤原釜足が死んだのを機に、会社の人間に不倫がバレ、素行が悪いと会社にいられないし出世もないと言われて、小泉は一時的に司のもとに戻るが。




浮気夫とそれに対峙し苦しむ妻を描いた作品。

今なら司葉子の立場の妻は、とっとと離婚し、慰謝料をガッポリ取ろうとするだろうが、時代が時代ということもあり(昭和38年)、司は絶対離婚しないと言い張り続ける。

それは浮気をどれだけされても小泉博のことを愛しているからだそうで、左幸子の方もお水の女ではあるが、別に小泉を騙しているわけではなく、寧ろ妻と別れると言いながら中々グズグズと別れない小泉の犠牲になっているような立場で、要するに三角関係の元である小泉博が一番悪いのである。

しかし、それにしてもこの小泉博は最強である。

何故なら、これだけ司も左も苦しめ、のらくらグズグズ右往左往する、かなりクズな不倫夫のくせに、自分が悪いとは本当は一切思っておらず、寧ろ厄介な事態に巻き込まれた可愛そうな自分みたいな善人顔を最後まで貫徹しているのだ。

どう見ても、お前のやってることが諸悪の根源だろということばかり繰り返していながら、この小泉博は、「ゴジラ」シリーズや「クイズグランプリ」の司会や「サザエさん」シリーズのマスオ役の時と何ら変わらぬ善人顔の善人芝居でこのクズ役をやっているのである。

要するに、どんな役をやっても同じ芝居しかできない大根とも言えるのだが(苦笑)しかし、このクズな不倫夫を毎度のワンパターンの善人芝居でやり通す小泉博を見ていると、リアルな女誑しの不倫夫というのは、逆に本当はこういうサイコパスじみた奴なんじゃないかと思えてくるのである。

だからこの小泉の不気味な善人顔にリアリティすら感じられるようになってくるから不思議だ。

だって小泉は結局司も左もどっちも騙している上に、不倫が会社にバレると出世の妨げになる打算から、会社関係の結婚式に司を同席させ、左とは別れるという嘘をつくのである。

こんなサイコパスじみたクズ野郎、普通なら女の方からすぐに愛想をつかしそうなものだが、しかし小泉は自分が全く悪いとは思っていないサイコパスだから、結局自分に嘘をついていないのである。

だからか、司も左も小泉を信じてしまうという歪な構図が、意外にも逆説的なリアリティを感じさせるのである。

現実に存在するクズな女誑しは、案外こういう終始善人顔したサイコパスではないのか?と思えてくるので。

最後はさすがに小泉が左にも妻の司にも愛想をつかされ、吹っ切れた司が爽やかな笑顔をやっと浮かべて映画は終わる。

しかし小泉は最後まで子煩悩な父親のような善人顔を絶対やめない徹底ぶりである。

これは小泉博が何を演じてもワンパターンな善人芝居しか出来ないだけなのかもしれないが、逆にそのことがクズな女誑しのサイコパスな善人顔のリアルさを生々しく感じさせてくれて出色だったりする。

映画自体、成瀬巳喜男映画のような内容だが、筧監督はテンポよく三角関係のゴダゴタ展開を簡潔に描き出しているのでダレずに見れて中々面白い。

児玉清が団令子の尻に敷かれているくせに、司に言い寄る軽い夫役に意外と似合っているのも悪くない。

いずれにしても、小泉博の何を演じても善人顔のワンパターン芝居の場違いな恐ろしさが、歪んだ形で生々しく伝わってくる、不思議な魅力がある秀作な一篇。 2019/12/07(土) 01:50:42 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

『喜劇 各駅停車』

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井上和男『喜劇 各駅停車』、

森繁久弥はナポレオンを尊敬し、"ナポ源"と呼ばれている、55歳の引退間近のベテラン機関士だった。

助士の三木のり平は、岡田茉莉子がやっているおでん屋で森繁と喧嘩する仲の悪さだったが、ある日、機関車の番組変更による交番表に森繁と三木の名前が並ぶ。

実は助役の山茶花究が、三木にベテランの森繁に退職を説得してほしいがための人事だった。

その夜、森繁引退後に機関士を引き継ぐため転勤してきた南利明と、岡田のおでん屋に行った三木は、岡田から、森繁が戦時中、助士をしていた岡田の夫が敵の艦載機に撃たれて死んだ後、子供を抱えて途方に暮れる岡田を励まし、商売が出来るよう援助してくれた恩がある話を聞く。

だが、三木は急に胃けいれんを起し、病院にかつぎ込まれるが、翌日、森繁と同じ機関車に乗って助士を務めながらも、腹痛を我慢して貨車から離れなかった責任感の強さを森繁から褒められる。

また三木も、頑固だが人情がある森繁が好きになっていく。





国鉄職員をしながら作家をやっていた清水寥人の原作「機関士ナポレオンの退職」を映画化した喜劇映画。

しかし原作がある映画だからか、単なる森繁の喜劇映画という感じではない。

ナポ源と呼ばれた頑固な機関士の一代記のような、かなりちゃんとしたヒューマンドラマになっているし、なんと言っても松山善三の脚本がとても良い。

と同時に、当時の蒸気機関車が全編に渡り登場し、その走る様子を見事な移動撮影で長々とカメラマン岡崎宏三が撮ったシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい素晴らしさである。

そこにはヴェンダース映画のようなモーションピクチャーの魅力がまずあり、同時に鉄ちゃんじゃなくても感動するような蒸気機関車の美しさが充満しているのである。

三木のり平は気がある女性(看護婦)に夢中になりながら、いつも岡田茉莉子のおでん屋でタコばかり食べながら飲んでいるのだが、三木の方が年上なのに、岡田のことをいつも「おばさん」と呼んでいたりするのが変ではある。

しかし岡田は世話になった森繁に気があり、それを森繁の妻・森光子が鷹揚に認識していたりする。

だんだん森繁と三木が仲良くなっていく様を喜劇らしくコミカルに描きながらも、森繁や三木、岡田を人物的に掘り下げていく描写がとても秀逸である。

まず、森繁がいかに機関士であることに誇りを持ち、仕事をプロとしてこなしてきたかがちゃんと描かれている。

大雨の日に運転を代わってやれず、死なせてしまった佐原健二の機関士への哀悼の念すら十分に伝わってくる。

そして退職を助役の山茶花究に勧められながらも、あくまで現役であることに意地を張り続けたのに、目が悪くなって病院へ行き遅れた森繁の代りに南利明が機関車に乗ろうとするところをひきずり降ろして列車を発車させた森繁が、そこで自らの引き際を悟るシーンにはいじましいものがある。

また、いよいよ引退となった時、機関車が車庫に入ってからも一人長々と点検作業を行う森繁の姿に、まさにリアルな機関士のプロフェッショナルな矜持と哀愁が深く深く感じられ、この場面はかなり感動的なシーンになっている。

森繁が引退の挨拶に来た時、それまで邪魔者扱いするように森繁に引退を勧めていた山茶花究が、深々と何度も頭を下げて、森繁の長年の功労に最大のリスペクトを込めて感謝する場面には、悪役的にも見えた山茶花の人間性が一瞬にして垣間見え、この場面も素晴らしい。

岡田茉莉子も単なるコミカルなおでん屋のおばさん役ではなく、夫を亡くしてから、森繁に支えられて生きてきた生身の女であることがちゃんと描かれている。

三木のり平はコメディリリーフ的要素が強く、惚れている女性にデレデレしたり、腹を下してトイレに駆け込む場面とかが多いが、それでも森繁や岡田との信頼関係の中、ちゃんと人物像が掘り下げられて素描されている。

終盤、憧れの女性から手紙の返事を貰うも、彼女が恋人を連れてきてフラれ、失恋から飲んだくれて鉄道自殺しようと線路に寝る三木と、機関士を辞める寂しさから酔っ払って線路を歩いていた森繁がぶつかる場面からラストまでは、いかにも東宝喜劇映画に戻った描写で終わっていくが、しかしそれもプログラムピクチャーの喜劇映画である要件をきちんと満たした描写で幕を引いている姿勢に見える。

単なる森繁の喜劇映画ではなく、人物をきちんと掘り下げた感動的なヒューマンドラマになっているところが実に素晴らしく、それでいて最後はプログラムピクチャーらしくきっちり締められている、井上和男の代表作の一つと言える、意外なほどに得難い名作である一篇。

2019/09/07(土) 03:52:45 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

『無宿(やどなし)』




斎藤耕一『無宿(やどなし)』再見、

昭和十二年の夏、刑務所から着流し姿の高倉健と、白い麻の背広に力ンカン帽を被った勝新太郎が出所した。

勝新は情婦がやっているドサ廻りの芝居小屋に戻り、高倉は兄貴分の姐さんを訪ねて女郎屋へ行くが、既に姐さんは自殺していた。

そこに居た女郎の梶芽衣子は、高倉に、自分も同じ末路を辿るのは嫌だからと、足抜けを頼む。

たまたま遊びに来ていた勝新のフォローもあって、高倉は梶を足抜きさせるが、逃げる途中、人混みで梶は高倉を見失い、梶はまた再会した勝新と旅する。

その時勝新は、梶から、高倉が元潜水夫だった話を聞き、高倉を自分の計画に巻き込もうと決める。

勝新は、兄貴分の仇の安藤昇を狙っている高倉を捜すが。




ロベール・アンリコの『冒険者たち』の日本版というコンセプトで作られた、健さん、勝新、梶芽衣子の三大任侠スターを主役にした映画。

この3人を主役に揃えて『冒険者たち』をやるという企画は一見豪華で悪くない気もするが、しかしもう一つパッとしない出来で、昔観た時もちょっとガッカリした覚えがある。

ただ、ガッカリしたと言っても極端に出来が悪いわけではない。

別に健さんはクールに決まっているし、勝新もコミカルに好演、梶芽衣子などは日活の太田雅子時代以来、久々に弱々しいというか弱さを抱えた健気な女の役を演じており、これが中々良かったりもするのだ。

まあ要するに、健さんや勝新や梶芽衣子は、それぞれの主演作で、最後の殴り込みやら居合斬りが派手に決まることでカタルシスが得られる映画を成立させてきたわけだから、それが一切なく、いかにも『冒険者たち』的な悲しい青春映画風末路をあっさり迎えて終わってしまうというのが、3人に全く似合わないというか、物足りなさを感じさせるということである。

つまりこの3人で『冒険者たち』をやるというコンセプト自体にハナから少し無理があったような気がするのだ。

やはり『冒険者たち』の日本版という点では、西村潔監督の佳作『黄金のパートナー』の方がスッキリ決まった出来だと思う。

勝新が山陰沖に沈んでいるバルチック艦隊の軍用金引き上げに執着し、兄貴分の仇討ちに忙しくて協力してくれない健さんを諦めて、梶と共に金を引き上げようとする描写が妙に泥臭いところは、時代的なリアリティを考慮しすぎてか妙にモタつくが、全体的にはダレることもなく、スタスタお話が展開していくので、そうつまらなくもない。

だがせっかく健さんお得意の殴り込みやら仇討ちシーンが途中あるのに、もう一つそういう場面に迫力がないのがよくない。

敵役に安藤昇まで配しているのに、その辺りはイマイチである。

ラストの健さん、勝新の殺され方も、あまりにもあっさりしすぎていて、単なるチンピラが虫けらのように撃たれて終わりでは、映画のエンディングとして弱すぎる。

その辺りも変にリアリティを追求してそうなったのかもしれないが、そんなリアリティを追求したいならキャスティングにもいかにもひ弱なチンピラが似合う役者を使うべきであり、何も健さん、勝新を主役に据えてやるようなことではないだろう。

旅情に満ちた映像は確かに悪くないし、これは主役の3人によく似合っているのだが、随所にチグハグなところが見受けられるが故に中途半端な映画になってしまった感がある。

そんな惜しい一篇。 2019/07/30(火) 00:06:16 東宝 トラックバック:0 コメント(-)
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