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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『白い魔魚』




中村登『白い魔魚』再見、

岐阜の紙問屋の娘、有馬稲子は、東京の大学生で、同級の石浜朗に気があった。

ある日、有馬は自動車に轢かれそうになったことが縁で、商事会社の未亡人社長、高峰三枝子と知り合う。

高峰は死んだ夫が芸者に生ませた子供のことで悩んでいたが、若いツバメの、有馬の大学の先輩である川喜多雄二と付き合っていた。

ある日、有馬の元に故郷の母の手紙が来て、家が破産しかかっている知らせを受け、有馬は帰郷する。

債権者の一人である上原謙は、家の再建に尽力する代わりとして、有馬に求婚するが、身売りのようで気の乗らない話ではあるが、家を破産から救えるやも知れず、有馬は返答に窮する。




舟橋聖一の原作を映画化した作品。

有馬稲子が、気の強いしっかり者の女学生役にピッタリだが、有馬が煩悶する展開そのものが、映画の物語とかなり重なっている。

松山善三の脚本がよく出来ているので、松竹大船の軽い喜劇調で描かれているわりに、意外と深みのある映画になっている。

上原謙は二枚目役ではなく、有馬を手に入れたいばっかりの金持ち役だし、最初爽やかに出てくる川喜多雄二も徐々にロクでもない本性を現し、軽くて長閑な松竹大船喜劇テイストとは真逆の黒いキャラが色々登場する。

特に妙に煽情的でビッチなキャラの杉田弘子が目立っており、どこか新東宝悪女風の存在感とフェロモンを色濃く出している。

杉田は、高峰の若いツバメの川喜多とデキていて、その後の有馬と杉田の対決場面も中々悪くない。

前半は東京だが、後半は有馬の実家、岐阜のロケがメインで描かれている。

金策のため上京した上原に呼ばれた有馬が、金主の中村伸郎と交渉し、中村のくだらない冗談にブチ切れて物別れとなるシーンには、有馬の怒りの剣幕が強く描かれている。

学生演劇に入れ上げている石浜と本当は結ばれたいのに、実家の破産を阻止するために振り回される有馬と、高峰の複雑な事情が同時並行で素描されているが、社会や金絡みの世知辛い現実世界に直面して、苦悶しながらも自分らしい人生の選択をする有馬の姿も、わりと丁寧に描かれている。

しかし、石浜と生きていくことを選んだ有馬だが、それでハッピーエンドとはならず、フラれた上原が手を引いたので、実家は破産、体が悪かった有馬の父親はショック死してしまう。

石浜の舞台に主役として出ていた有馬が、故郷に帰ると、兄の須賀不二夫から、破産も父の死もお前のせいだと罵られ、人生の、自分らしい正しい選択が、現実の状況を悪化させてしまう皮肉な苦渋となる。

とは言え、兄の須賀なんぞは強欲で自己チューなだけのクズなのだが、現実と理想の狭間にある暗黒をちゃんと描き、その上で敢えて理想を目指す有馬と石浜の姿で映画は終わる。

軽くてほんわかした松竹大船喜劇テイストなのに、意外なまでにシビアな現実を掘り下げて素描している、中々佳作な一篇。 2019/06/18(火) 01:07:10 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『キネマの天地』




山田洋次『キネマの天地』再見、

1930年代、有森也実は浅草の映画館・帝国館の売り子だったが、元旅役者の父・渥美清と長屋暮らしをしていた。

ある日、松竹の映画監督すまけいに注目された有森は、蒲田撮影所を訪れてすぐに看護婦役を与えられるが、演技がイマイチで監督に怒られ意気消沈する。

だが家に帰った有森を、助監督の中井貴一が迎えに来てくれたので、有森は撮影所に就職し大部屋女優になる。

その後、徐々に有森と中井はお互い惹かれ合ってゆく。

有森は田中健の遊び人の俳優に振り回され、中井はマジメに書いた脚本を喜劇映画監督の堺正章にナンセンスコメディに改変されたりしていたが、ある時、大女優の松坂慶子が恋愛逃避行の末、大作「浮草」を降板したため、有森がその主役に抜擢されることになる。





松竹大船撮影所50周年記念映画。

しかし中身は、大船撮影所時代より前の、1930年代の松竹蒲田撮影所を舞台にした、映画黄金期の人々を描いている。

大船撮影所については、最後にチラッと、今度大船に撮影所を作るよ、と触れられている程度である。

メインで描かれているのは、田中絹代をモデルとした田中小春=有森也実他、撮影所長の城戸四郎、斎藤寅次郎、小津安二郎他をモデルとした映画人の面々である。

脚本には井上ひさし、山田太一が参加している。

主役の田中小春役は、藤谷美和子が降板したため、当時新人だった有森也実が抜擢されたのだが、この実話は、やはり映画内の、岡田嘉子がモデルの大女優松坂慶子が降板したため、急遽田中絹代モデルの有森が「浮草」の主役に抜擢される挿話と少し重なっているように思える。

有森は一応松竹の社員なので、女優として格が上がると、サラリーマンのように幹部に昇格していくのが興味深いが、実際、田中絹代もかなり上の幹部にまで出世している。

城戸所長がモデルの、九代目松本幸四郎の所長役の爽快さ、
小津安二郎をモデルにした監督役に岸部一徳が実にピッタリで、
田中小春役の有森也実や優等生役が多かった頃の中井貴一も、初々しく見事に好演している上、役にとっても合っている。

また斎藤寅次郎をモデルにした喜劇映画監督役に堺正章がこれまた実にピッタリで、当時の松竹蒲田の脚本部が、何とも楽しそうに描かれている。

劇中堺が脚本部で、当時の洋画「西部戦線異状なし」をもじって、「全部精神異常あり」を撮りたいと言いだして、そこにいた面々を笑わせるが、斎藤寅次郎は本当に「全部精神異常あり」を撮っているから恐れ入る。

謂わば、松竹蒲田撮影所自体が主役のような映画で、中々いい塩梅で撮影所やその周辺の人々が描かれている。

また有森の父役の渥美清も素晴らしい。

途中、活動狂いを自称する屑屋の笹野高史が松竹の役者をやたら褒めるので、渥美の機嫌がどんどんよくなり、ついに娘を褒められて喜びの絶頂に達して笹野に酒を奢りまくるのだが、この場面の渥美清はかなり笑える。

まさに喜劇役者渥美清の独壇場である。

思わず「東京ド真ん中」での、縁談まとめに行ったはずが逆にぶち壊してきたのを酔っ払って話す親方役の、あの絶品なコミカルさを想起させるほどである。

それでいて身体が悪い中、娘の心配をいつもしている父(実は義父)としてもいい味わいで、この映画は渥美清や有森也実他、全体的に役者陣の健闘がかなり目立つ映画である。

まず山田洋次映画のキャスト総出演の豪華さがいい。

渥美の近所には世話を焼いてくれる倍賞千恵子がいるし、倍賞の夫は前田吟で息子は吉岡秀隆である。

中井貴一の父が下條正巳で、中井が暮らす下宿のおばさんまで三崎千恵子と、「男はつらいよ」キャストがキッチリ投入されている。

後半には「馬鹿」シリーズのハナ肇が牢に入ったヤクザの親分役で貫禄を見せているし、その子分が佐藤蛾次郎である。

その他、藤山寛美に関敬六、山田隆夫に山城新伍、美保純にコント・レオナルド他、笠智衆、冷泉公裕、桜井センリ、人見明、平田満、財津一郎、粟津號、木の実ナナ、すまけい、松坂慶子他などなど皆適役で好演している。

最後は、蒲田まつりで「蒲田行進曲」を有森が父の死を知らずに歌うシーンで終わっていくが、終いまで中々いい味わいである。

個人的には山田洋次作品中でも、上位に入る傑作である一篇。 2018/12/01(土) 08:26:53 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』




渡邊祐介『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』再見、

鍼医者の梅安=緒形拳は、ある夜、浪人、林与一に本道医師の宗伯=小池朝雄と間違われ襲われるが、人違いと気づいた林はそのまま消える。

その後、梅安は仕掛の元締の山村聰から、伊豆屋長兵衛=佐藤慶の仕掛を頼まれる。

伊豆屋はここ数年で江戸に来て金持ちになった謎の人物だったが、梅安が伊豆屋と宗伯の密会を張り込んでいると、先日の浪人・林も宗伯を見張っていた。

実は浪人・小杉十五郎=林は、女郎の母を犯し自殺させた宗伯を狙っていた。

その後、宗伯と伊豆屋の過去がわかり、伊豆屋は元々侍で、藩の政権争いで、二人の家老のために宗伯から毒薬を入手して藩主を毒殺し、侍をやめてからは、家老から金を強請っていたのだった。

実は伊豆屋の仕掛の依頼主は、その強請られている家老だった。

だが伊豆屋は自分たちが狙われていると知り、宗伯を逃がして、他の仕掛人に梅安と小杉の仕掛を頼む。

梅安の家に蟻地獄のような罠が仕掛けられ、梅安と小杉は窮地に陥るが、元締めが助ける。




必殺シリーズ初期の劇場版作品。

藤田まことの中村主水の前の「必殺仕掛人」は、TVでも藤枝梅安役が緒形拳だったが、それをきっちり劇場版でプログラムピクチャーにしている作品である。

随所にコミカルな描写を規則的に入れており、その規則性がお話の展開のリズムにもなっている。

最初は勘違いから対立関係だった梅安と小杉が徐々に仲間になっていくが、仕掛人は後の中村主水の仕置人と違って、安定したチームプレイの天誅的ヒーロー集団ではなく、それぞれが明日をも知れぬ命を賭けて仕掛をする人間臭い殺し屋たちであり、そうした側面も明確に描いている。

悪役の小池朝雄は、ネチっこい小悪党役にさすがによく似合い、佐藤慶もクールで非情な悪人ではあるが、弟の小池には情も見せ、単なるラスボスではない、わりとヒューマンな悪役として描かれている。

寧ろ、主役の梅安や小杉などより、悪役のヒューマンドラマの方が色濃く描かれているという印象が強いのも、「必殺仕掛人」らしいと言えるし、劇場版らしいとも言える。

緒形拳の梅安役はさすがにハマり役で、その他、林与一、山村聰、津坂匡章(現・秋野太作)らも役によく合って好演しており、映画自体、中々よくまとまった出来の一篇。 2018/01/13(土) 02:31:28 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『散歩する侵略者』




黒沢清『散歩する侵略者』、

長澤まさみは、数日間行方不明だった夫・松田龍平が、別人のような態度になって帰ってきたことに戸惑う。

松田は奇妙なことを言いながら、毎日どこかへ散歩に出かけるようになるが、たまたま来ていた長澤の妹・前田敦子は松田と接した途端、長澤に不可解なほどによそよそしくなる。

町では一家惨殺事件が起こり、女子学生の恒松祐里が行方不明になっていたが、取材を進めるジャーナリストの長谷川博己は、自分を宇宙人だと名乗り、地球を侵略に来たと言う高杉真宙に出会い、行動を共にするうちに徐々に異様な事態に気づく。

国家が動き出し、かなり不穏な空気に包まれだした頃、長澤は松田から「自分は地球を侵略しに来た宇宙人だ」と告白される。





黒沢清監督が劇作家・前川知大の劇団イキウメの人気舞台を映画化した作品。

終始ヘラヘラしている上にクソ偉そうな侵略者の二人、恒松祐里と高杉真宙には、正直ずっとムカついた。

しかしいかにも黒沢清映画らしい演出で描かれているし、ムカつくほど人間の常識が通用しない常軌を逸した存在として侵略者を描いているようにも思え、見た目がモンスターのような宇宙人も宇宙船も出てこない中で、逆に侵略者としての宇宙人=モンスターのリアリティを追求しているような気もしてくる。

長澤まさみの反応の不自然さにも失笑させられる場面が随所にあった。

特に長澤が、松田龍平が地球を侵略に来たことを長谷川から知らされた後、車の中で、侵略に来たことを何で言わなかったのかを松田に聞く場面など、まるで会社をリストラされたことを何で言わなかったのかと旦那に聞いてる妻のような言い方で、ことは地球侵略話なのに、そのあまりに日常的な会話ぶりには失笑するしかなかった。

しかし黒沢監督のことだから、人類存亡の危機を日常会話的な演出で描くというのも、ワザとやっているような気もしてくるが。(それにラストへの伏線になっているとも思える。)

ただ、侵略者は人間の身体を転移し、乗り換えていくらしいのだが、それでも銃撃すれば肉体は死ぬのに、国家側がそれを中々しないのはご都合主義にすぎる。

その上、二人の侵略者は地球侵略の準備が整ったからと、最後のツメもしないで、身体が破壊された後、他の人間の身体に乗り換えもせずフェイドアウトするのだから、乗り換え設定は結局全く使われないままだったりする。

国家側の上層部も笹野高史一人だけに代表させているショボさで、ちょっと国家側の描写が薄すぎる気もする。(まああまりそっちを大仰に描くと、ドラマ的に焦点がボヤける難点も生まれるから難しいところだが)

また誰もが、見も知らない子供の身体の侵略者に屁理屈並べられて「想像しろ」と言われると、皆がイチイチ言いなりになって侵略者に人間の概念を奪われるというのも不自然すぎるし、この設定は、どうにも黒沢監督の「CURE」の可愛らしいパロディコントみたいにも見えてくる。

長谷川博己は侵略者のサンプルとして生き延びたくて最後人類を裏切ったのかもしれないが、その辺りの描写も不明瞭である。

ただ長谷川博己は黒沢清映画似合うなとは思ったが。

地球侵略に関し、最新の科学データや知識を披露して、もっともらしくリアリティを積み重ねようとは全くしていないし、侵略者の侵略装置もいかにもハンドメイドな見た目で、理工系ではなく、文系のSFを思わせる。

ただ途中ちょっとだけ出てくる東出昌大の牧師にはかなり存在感があり、全体的に60年代のB級SF映画か、SF短編みたいなテイストがいい味わいになってはいる。

この映画は松竹映画(&日活)だからか、ついついかっての松竹SFホラー『吸血鬼ゴケミドロ』『吸血髑髏船』『昆虫大戦争』の末裔的作品にも思えてくる。

黒沢映画らしい不気味な影の描写も、かなり不穏な気配を漂わせていて健在である。

また、ハリウッド黄金期の恋愛喜劇映画みたいなサントラを、殺伐としたシーンでも流すセンスも悪くない。(その他ハリウッド黄金期にアンソニー・マンとかが昔よくやっていたような、屋内と屋外をワンショットで捉えて、そのままカメラを移動してワンシーン、ワンカットとして撮ってしまう古典的な描写の場面も良かった。)

それに何と言っても、荒唐無稽な設定のお話をかなり不思議な蛇行した展開で描いているので、そこそこ長い上映時間なのにまるで飽きさせないのも秀逸である。

そして、この映画の最大の美点である、最後のオチの、実にさらりとした見せ方=終わり方はもう素晴らしいの一言だったりする。

このラストのオチを見て、長澤まさみの妻役がいかに適役だったかがよくわかった。

ここからは、ややネタバレになるが、
結局、この映画は「愛は、地球を、人類を救う」という映画だと思う。

それも長澤まさみの愛の概念が人類を、地球を救ったのだろう。

侵略者松田龍平は、長澤から愛の概念を奪うのだが、たぶんその瞬間、侵略者松田に愛の概念が充満し、それが地球侵略をやめさせたのだろう。

長澤まさみは夫の松田が侵略者であり宇宙人だと知っても、松田から離れず、松田を救おうとしていた。

その場面は地球侵略話をしているのに、あまりにも日常的すぎて、失笑してしまったことは先に書いたが、しかし実は、この失笑を誘うほどの長澤の「日常的な愛情の概念の方が地球侵略なんぞより上」という価値観が、それを奪った侵略者を変貌させてしまったのだから、先の長澤の不自然にも見えた対応は、やはりラストへ向けての伏線だったのだろうと思う。

ラスト、愛の概念を、まるでかっての侵略者たちのように失った妻・長澤のそばで、逆に愛の概念を長澤と入れ替わりで移植された元侵略者の夫・松田が「ずっと一緒にいる」と言ってエンドとなるが、やはりこのさらりとした終わり方というか、ラスト一言で多元的に全てを語るオチの見事さに救われている映画だと思う。

そういう意味では、結局中々の佳作になっている一篇。 2017/10/10(火) 03:15:31 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『敵は本能寺にあり』

大曽根辰保『敵は本能寺にあり』、

明智光秀=松本幸四郎(初代 松本白鸚)は、信長=田村高廣から丹波国の平定を命じられ、その時、丹波八上城の波多野兄弟を降伏させるが、光秀は自分の母を人質にして、波多野兄弟を助ける約束をする。

しかし信長は兄弟を磔刑にしてしまい、光秀の母は、約束破りに怒った波多野の家臣に殺されてしまう。

悲しみに暮れる光秀だが、信長にはそれから手厚くもてなされるようになるも、ライバルの羽柴秀吉=河津清三郎はそれに嫉妬していた。

だが、光秀のすでに恋人がいる娘を森蘭丸=松本万之助に嫁がせるように言う信長の命令を断ったために、光秀はまた信長の逆鱗に触れ、冷や飯を食わされる扱いを受ける。

その後、光秀は事あるごとに信長から辛い扱いを受け、徐々に信長への怒りをたぎらせていく。




池波正太郎のオリジナルシナリオを映画化した、明智光秀を主役にした戦国時代劇。

松本白鸚が光秀で、田村高廣が信長なのに、秀吉役を悪役多しの河津清三郎が演じており、つまりこれは一番狡猾な悪役を秀吉にしている解釈の映画である。

実際河津の秀吉はヘラヘラしながら、光秀を陥れるようなことばかりやり、そのくせ最後は信長の仇を討った良き家臣顔する狡猾な存在として描かれている。

光秀は信長の無理に振り回されながらも、飲めない話は拒否するのでその度に信長を怒らせ、冷や飯を食わされるが、信長の冷遇が度を越し始めて、とうとう追い詰められた光秀が信長を討つに至るという風に展開する。

光秀が信長に追い詰められる度、まるで舞台劇のように、光秀にだけスポットライトが当たり、周りは暗転するのが効果的で、わりとメリハリの利いた映画にしている。

また信長に追い詰められ、それに耐えに耐えながらついに本能寺襲撃に至るプロセスにもわりとメリハリがあるので、そこに醍醐味がある映画になっている。

光秀役の松本白鸚が耐えに耐える悲劇的な役どころを好演しているし、田村高廣の信長役も中々いいが、信長は別に完全な悪役という風でもなく、実は秀吉以上に評価している光秀に良かれと思ってやることが逆に光秀を苦しめる結果となり、それ故にだんだん光秀とソリか合わなくなってくる存在として描かれている。

だからこの映画ではやはり、秀吉が一番狡猾な悪党として描かれ、結局信長も光秀も秀吉の狡猾さに踊らされて破滅していくという展開である。

脇に淡島千景、岸恵子などを配し、徳川家康役を嵐寛寿郎、悪役として描かれる森蘭丸を中村万之助時代の中村吉右衛門が演じていて(光秀役の松本白鸚は父)中々の豪華キャストである。

光秀が信長を討った真相は、光秀の子孫の人の研究では、実は信長は、徳川家康を本能寺に呼んで光秀に討たせようとしていたが、光秀はその話を聞いて、そのうち明智一族も滅ぼされると思い、家康と光秀の談合の結果、本能寺の変に至った、という新説がある。

また近年見つかった文書から、信長が四国の長宗我部氏への対応を変えたことから、長宗我部氏の交渉役だった光秀が面目を失い、追い詰められた光秀が本能寺の変を起こしたとする「四国説」が浮上し、実は光秀は足利義昭と組むことを構想していたのでは、という説も出て来ている。

まあ戦国武将の解釈はどうしても中心に見る武将によって見方が変わることがあるので、他の戦国時代劇ではこの映画ほど光秀を人間的かつヒロイックに描いてはいないように思う。

しかしいずれにしても、光秀が信長に追い詰められたという部分は共通しているから、追い詰められ方には諸説あっても大筋ではこんな感じだったのかもしれない。

また秀吉を意図的に悪役として描いているのは、オリジナルシナリオを書いている池波正太郎の意図なのかもしれない。

戦闘場面にもわりと臨場感があるし、中々メリハリの利いた、スッキリした出来の秀作な一篇。

2017/10/03(火) 00:06:14 松竹 トラックバック:0 コメント(-)
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