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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『横堀川』

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大庭秀雄『横堀川』、

倍賞千恵子は裕福な商家の娘だったが、嫁いだ相手の中村扇雀が放蕩三昧の夫で苦労する。

だが、しっかり者で商売上手な倍賞はその後メキメキと商売を成功させていく。

すると、夫として立場のない中村は無理に金を作ろうとして逆に借金を重ね、さらに倍賞に迷惑をかけてしまうが。





山崎豊子の原作、『暖簾』『ぼんち』『花のれん』を映画化した作品。

昭和初期の関西を舞台に、吉本興業の祖、吉本せいの半生をモデルとして描いた映画である。

後にNHKの朝ドラ『わろてんか』でも、同じ吉本せいをモデルにしたドラマが描かれていたが、こちらはそれより随分昔に作られた松竹映画で、わりとNHK朝ドラっぽい映画化に見えなくもない。

まあこういう、逆境にめげず、逞しく生きようとする、しっかり者で根性のある女性の一代記的題材は、だいたい朝ドラっぽくなるのかもしれないが。

吉本せいに匹敵する、しっかり者の妻にして、やり手の女商売人役を倍賞千恵子が絶妙に熱演している。

夫の放蕩を許す、どちらかと言うと尽くすタイプの妻なのに、人を見抜く能力に長け、誠実で真面目だけど商売の駆け引きがうまく、一途なわりに周りがよく見えていて、先見の明もあるという役どころに倍賞千恵子があまりにピッタリで、やはり主役がこれだけハマり役で立っていると、映画自体、かなり引き締まって見える。

厚田雄春の的確なカメラワークも映画を安定させており、倍賞とは対照的な中村扇雀の、妻への劣等感も相まって、放蕩三昧のだらしない行いをする夫役も中々の好演で、秀逸である。

特に、途中、それまで商売に向いていない苦手意識から、倍賞に迷惑ばかりかけて遊び呆けていた中村が、倍賞に"あんたが好きなことを仕事にすればいい"と言われ、一緒に寄席の経営をやるようになると、急に中村が仕事に打ち込み出す場面など、中々感動的である。

元々は中村の贔屓の芸人だったが、倍賞と中村が寄席を経営すると聞いて、芸人を辞めて尽力するようになる小沢昭一も、頼りになる助っ人役をいい味わいで演じている。

その他、倍賞とは終始協力関係にある山口崇や、倍賞に似たやり手商売人タイプの香山美子、
寄席での履物トラブルの際に、倍賞が代わりに質の良い履物を用意したことが功を奏して、その後味方になってくれるようになる市会議員役の田村高廣、
倍賞の気っ風に惚れ込み大金を用立ててくれる浪花千栄子、
美しい姉の稲垣美穂子他も、見事な好演と存在感で脇を締めている。

様々な挿話をわりと簡潔にまとめているので、上映時間は100分だが、中々テンポのいい映画になっているところも出色である。

大庭秀雄作品には『偉大なるX』という最高傑作があるが、これはそれと双璧をなすくらいよく出来た、意外なほどの秀作な一篇。 2020/06/27(土) 00:06:20 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『クリーピー 偽りの隣人』




黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』再見、

元刑事の犯罪心理学者・西島秀俊は、刑事時代の同僚である東出昌大から、6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。

西島は唯一生き残った長女川口春奈の記憶を探るが、真相にたどり着けなかった。

同じ頃、プライベートで引っ越した西島と妻の竹内結子は、隣人である香川照之一家の怪しさが気になっていた。

そしてある日、香川の娘から西島は、香川が実は父親ではなく、赤の他人であると知らされる。




前川裕原作「クリーピー」の映画化作品。

原作とは違う映画オリジナルの展開になっている。

黒沢清映画らしいホラータッチが全編にあり、それが日常の怪しい不気味な気配を煽り立て、過度なサスペンス感をスリリングに醸成しているところは全く申し分ない見事さである。

これが最大の強みとしてあるので、馬場徹のプロファイリング不可能なサイコキラーが暴れる冒頭から、最後まで、 ダレることなく、一気に見られる映画になっている。

また、香川照之の怪しすぎる隣人芝居も流石に似合っている。

しかしこの映画は、途中で香川にかどわかされ、おかしくなる竹内結子や、香川の娘(のフリを強要されている)の心理描写が不十分なため、後半もう一つパッとしない。

竹内はある時、香川に迫られてから何故か言いなりになり、香川の娘のふりを強要されている少女も、言いなりになっているはずなのに西島に告白して助けを求めたり、はたまた殺人には平気で加担したりしている妙なチグハグさなのだが、これが心理的に洗脳されているからなのか、注射を打たれて命令を聞かざるを得ないからなのかが、あまりにも不明瞭すぎるのである。

その辺りの肝心の心理描写が欠けているが故に、竹内の後半の行動原理すらもがはっきりせず、娘の行動原理も矛盾するくらい曖昧になり、それが映画自体の説得力を減退させてしまっている。

確かに黒沢清は心理描写を過度に描かないことが多いし、それが逆に不気味な魅力を生んでいるところもある。

しかし心理描写が出来ない人では全くなく、例えばWOWOWで監督したドラマ「贖罪」における、登場する女性たち全員の心理の裏も表も繊細かつ不気味に描き出してしまう描写力をせっかく持ち合わせているのだから、この映画の竹内結子や娘の心理描写も「贖罪」くらいちゃんとやっていれば、映画自体が3倍くらい良い映画になったろうと思わせ、実に惜しい。

役者陣は、西島秀俊から東出昌大、香川照之、川口春奈他、皆好演しているし、竹内結子すら別に悪くはないのだが、やはり上記した心理描写の欠落が致命的としか言いようがない。

映画的には良き映画の部類に入る上に、面白くダレずに見ていられる、それなりの佳作にはなっているのだが、やはり惜しいとしか言いようがない一篇。 2020/04/28(火) 03:12:09 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『Fukushima 50』




若松節朗『Fukushima 50』、

2011年3月11日の午後2時46分、日本にマグニチュード9.0、最大震度7の観測史上最大の地震が発生。

その上巨大な津波が福島原発を襲い、津波の浸水で全電源を失い、ステーション・ブラック・アウト(SBO)となる。

冷却不能となった原子炉は、メルトダウン(炉心溶融) の危険が高まり、甚大な被害が危惧される。

1・2号機の当直長伊崎=佐藤浩市他現場作業員は、原発内に残り原子炉制御に命を賭ける。

全体を統括する吉田所長=渡辺謙は部下たちに指示をしながらも、状況を理解できない本店や官邸に対し苛つく。

だが、現場の必死の作業も及ばず、事態は悪化。
近隣住民は避難することに。

官邸の試算では、被害範囲は半径250km、避難対象人口は約5000万人となり、それは東日本壊滅を意味していた。




門田隆将のノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を映画化した、東日本大震災における福島第一原発事故発生時に原発に留まって対応した約50名の作業員たち、通称"フクシマ50"の闘いを描いた映画。

まさに過去の知らない時代の国難ではなく、我々が経験した国難に対して闘った人々を真摯に描いた映画である。

最初の原発事故の場面や津波が襲ってくる場面など、やはりリアルタイムで知っている事故の再現だから、とてもエンタメ特撮的には見えないリアルさを感じさせる。

かっての国難と闘う災害映画、内田吐夢の傑作「どたんば」とはちょっと違う描き方だが、その後も現場の切羽詰まった緊張感や生な息吹を持続させて描きながら、なんとか国難を回避しようと命懸けで闘う人々の気概が、渡辺謙、佐藤浩市、安田成美、火野正平、吉岡秀隆、小倉久寛、石井正則 他、全ての役者陣の熱演からダイレクトに伝わってくる映画になっている。

フクシマ50のメンバーではないが、福島の記者役のダンカンが、当時の普通の福島県人を代弁するような存在感を見せているのも良い。

だがこの映画に対して、当時総理大臣の菅直人の長年のお友達とやらが、"総理大臣を菅直人として描かず悪役として描いた"とか明らかにお友達の菅に忖度したケチをつけていたが、しかし、はっきり言って佐野史郎演じる総理大臣が悪役には全く見えなかった。

だいたい、当時、こちらが現実の総理大臣の菅直人に抱いた印象はもっと最悪なものだった。

その対応の不味さから国民の信頼を大きく失い、果ては政権交代にまで繋がった上、今の菅直人の国民からの信頼の無さ、凋落ぶりなど、目に見えて明らかなのだから、これはこちらの私見だけとも言えまい。

その印象からしたらもっとロクでもない総理として描かれていてもおかしくないくらいである。

しかしこの映画では、菅直人を思わせる佐野の総理は、国のトップが現場に来て作業員に激昂するような最悪の対応をし横暴な態度を取っているが、それで言うならヒーロー的に描かれている吉田所長(渡辺謙)だってすぐ怒鳴るし、キレるし、ゴミ箱蹴っ飛ばすし、ケツ出すし、とかなり横暴で、つまり非常事態における綺麗事抜きの切迫した態度として描かれているようにしか見えない。

だいたい佐野の総理は終始怒鳴ってはいるが、絶えず言っていることは「やれることは全部やるんだ!」である。

つまり、素人だから、確かに適切な指示は出せていないかもしれないが、一国の長としてガムシャラに国難にぶつかって行った国士として描かれているように見えるのである。

最後、最悪の事態を回避出来たことを知った時も、決して悪役としてなど描かれておらず、国難にガムシャラにぶつかって行った人間が国難を回避出来て心底安堵している国士としての顔を佐野史郎はちゃんと熱演しているし、その姿がわざわざワンショットで挿入されているではないか。

もしこれが当時の菅直人の隠された実像なのだとしたら、こちらは菅直人を立派な国士として評価したいぐらいだ。

しかし菅直人のお友達とやらは、菅に忖度しすぎて、これを悪役としてしか描いていないと言っているのだから、およそ映画自体をまともに見ているとはとても思えない。

だいたい「やれることは何でもやれ」という台詞は、ヒーロー役である吉田所長(渡辺謙)も怒鳴りながら言っていることなのである。

それを佐野の総理は、大声で檄を飛ばして言っているのである。

しかも渡辺謙=吉田所長が、現場から逃げろと言い出した本店の篠原英介にブチ切れている次のタイミングで、佐野の総理は本店に行き、逃げるな!と篠原らに檄を飛ばすのである。

確かにそれを聞いた現場の反応は、佐野に言われるまでもないことだから冷たいが、しかしこの映画はそこで逃げなかった人々をヒーローとして描いているのだから、佐野の総理が間違っているようになど別に描いていないではないか。

これがどこが悪役な描き方なのか?
一体、菅直人のお友達とやらは何を見ているのだろうか?

しかも東電の本店を悪役にしていないとかこの御仁は言っているのだが、嘘をつくのも大概にしてほしい。

この映画で最もロクでもない悪役として描かれているのは本店の篠原英介ではないか。

どこをどう見るとそういうバカが言えるのか知らんが、やはりお友達に忖度した見方ばかりしていると、そんなこともわからないのだろう。

せっかく現実の菅直人=お友達が世間の最悪な印象通りにではなく、この映画では、原発の素人だし不器用でガムシャラだが、国難に必死に立ち向かおうとした気概は十分感じられる国士として描かれているのに、それにケチをつけているのだから愚かとしか言いようがない。(苦笑)

この映画は、フクシマ50の面々だけでなく、佐野の総理も含めて皆が国難と闘った姿を描いた映画だと思う。

やはりリアルタイムで知っているというか、半ば体験した大災害からの事故を描いた映画だからか、生な息吹を半端なく感じさせる秀作な一篇。 2020/03/14(土) 21:19:49 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『白い魔魚』




中村登『白い魔魚』再見、

岐阜の紙問屋の娘、有馬稲子は、東京の大学生で、同級の石浜朗に気があった。

ある日、有馬は自動車に轢かれそうになったことが縁で、商事会社の未亡人社長、高峰三枝子と知り合う。

高峰は死んだ夫が芸者に生ませた子供のことで悩んでいたが、若いツバメの、有馬の大学の先輩である川喜多雄二と付き合っていた。

ある日、有馬の元に故郷の母の手紙が来て、家が破産しかかっている知らせを受け、有馬は帰郷する。

債権者の一人である上原謙は、家の再建に尽力する代わりとして、有馬に求婚するが、身売りのようで気の乗らない話ではあるが、家を破産から救えるやも知れず、有馬は返答に窮する。




舟橋聖一の原作を映画化した作品。

有馬稲子が、気の強いしっかり者の女学生役にピッタリだが、有馬が煩悶する展開そのものが、映画の物語とかなり重なっている。

松山善三の脚本がよく出来ているので、松竹大船の軽い喜劇調で描かれているわりに、意外と深みのある映画になっている。

上原謙は二枚目役ではなく、有馬を手に入れたいばっかりの金持ち役だし、最初爽やかに出てくる川喜多雄二も徐々にロクでもない本性を現し、軽くて長閑な松竹大船喜劇テイストとは真逆の黒いキャラが色々登場する。

特に妙に煽情的でビッチなキャラの杉田弘子が目立っており、どこか新東宝悪女風の存在感とフェロモンを色濃く出している。

杉田は、高峰の若いツバメの川喜多とデキていて、その後の有馬と杉田の対決場面も中々悪くない。

前半は東京だが、後半は有馬の実家、岐阜のロケがメインで描かれている。

金策のため上京した上原に呼ばれた有馬が、金主の中村伸郎と交渉し、中村のくだらない冗談にブチ切れて物別れとなるシーンには、有馬の怒りの剣幕が強く描かれている。

学生演劇に入れ上げている石浜と本当は結ばれたいのに、実家の破産を阻止するために振り回される有馬と、高峰の複雑な事情が同時並行で素描されているが、社会や金絡みの世知辛い現実世界に直面して、苦悶しながらも自分らしい人生の選択をする有馬の姿も、わりと丁寧に描かれている。

しかし、石浜と生きていくことを選んだ有馬だが、それでハッピーエンドとはならず、フラれた上原が手を引いたので、実家は破産、体が悪かった有馬の父親はショック死してしまう。

石浜の舞台に主役として出ていた有馬が、故郷に帰ると、兄の須賀不二夫から、破産も父の死もお前のせいだと罵られ、人生の、自分らしい正しい選択が、現実の状況を悪化させてしまう皮肉な苦渋となる。

とは言え、兄の須賀なんぞは強欲で自己チューなだけのクズなのだが、現実と理想の狭間にある暗黒をちゃんと描き、その上で敢えて理想を目指す有馬と石浜の姿で映画は終わる。

軽くてほんわかした松竹大船喜劇テイストなのに、意外なまでにシビアな現実を掘り下げて素描している、中々佳作な一篇。 2019/06/18(火) 01:07:10 松竹 トラックバック:0 コメント(-)

『キネマの天地』




山田洋次『キネマの天地』再見、

1930年代、有森也実は浅草の映画館・帝国館の売り子だったが、元旅役者の父・渥美清と長屋暮らしをしていた。

ある日、松竹の映画監督すまけいに注目された有森は、蒲田撮影所を訪れてすぐに看護婦役を与えられるが、演技がイマイチで監督に怒られ意気消沈する。

だが家に帰った有森を、助監督の中井貴一が迎えに来てくれたので、有森は撮影所に就職し大部屋女優になる。

その後、徐々に有森と中井はお互い惹かれ合ってゆく。

有森は田中健の遊び人の俳優に振り回され、中井はマジメに書いた脚本を喜劇映画監督の堺正章にナンセンスコメディに改変されたりしていたが、ある時、大女優の松坂慶子が恋愛逃避行の末、大作「浮草」を降板したため、有森がその主役に抜擢されることになる。





松竹大船撮影所50周年記念映画。

しかし中身は、大船撮影所時代より前の、1930年代の松竹蒲田撮影所を舞台にした、映画黄金期の人々を描いている。

大船撮影所については、最後にチラッと、今度大船に撮影所を作るよ、と触れられている程度である。

メインで描かれているのは、田中絹代をモデルとした田中小春=有森也実他、撮影所長の城戸四郎、斎藤寅次郎、小津安二郎他をモデルとした映画人の面々である。

脚本には井上ひさし、山田太一が参加している。

主役の田中小春役は、藤谷美和子が降板したため、当時新人だった有森也実が抜擢されたのだが、この実話は、やはり映画内の、岡田嘉子がモデルの大女優松坂慶子が降板したため、急遽田中絹代モデルの有森が「浮草」の主役に抜擢される挿話と少し重なっているように思える。

有森は一応松竹の社員なので、女優として格が上がると、サラリーマンのように幹部に昇格していくのが興味深いが、実際、田中絹代もかなり上の幹部にまで出世している。

城戸所長がモデルの、九代目松本幸四郎の所長役の爽快さ、
小津安二郎をモデルにした監督役に岸部一徳が実にピッタリで、
田中小春役の有森也実や優等生役が多かった頃の中井貴一も、初々しく見事に好演している上、役にとっても合っている。

また斎藤寅次郎をモデルにした喜劇映画監督役に堺正章がこれまた実にピッタリで、当時の松竹蒲田の脚本部が、何とも楽しそうに描かれている。

劇中堺が脚本部で、当時の洋画「西部戦線異状なし」をもじって、「全部精神異常あり」を撮りたいと言いだして、そこにいた面々を笑わせるが、斎藤寅次郎は本当に「全部精神異常あり」を撮っているから恐れ入る。

謂わば、松竹蒲田撮影所自体が主役のような映画で、中々いい塩梅で撮影所やその周辺の人々が描かれている。

また有森の父役の渥美清も素晴らしい。

途中、活動狂いを自称する屑屋の笹野高史が松竹の役者をやたら褒めるので、渥美の機嫌がどんどんよくなり、ついに娘を褒められて喜びの絶頂に達して笹野に酒を奢りまくるのだが、この場面の渥美清はかなり笑える。

まさに喜劇役者渥美清の独壇場である。

思わず「東京ド真ん中」での、縁談まとめに行ったはずが逆にぶち壊してきたのを酔っ払って話す親方役の、あの絶品なコミカルさを想起させるほどである。

それでいて身体が悪い中、娘の心配をいつもしている父(実は義父)としてもいい味わいで、この映画は渥美清や有森也実他、全体的に役者陣の健闘がかなり目立つ映画である。

まず山田洋次映画のキャスト総出演の豪華さがいい。

渥美の近所には世話を焼いてくれる倍賞千恵子がいるし、倍賞の夫は前田吟で息子は吉岡秀隆である。

中井貴一の父が下條正巳で、中井が暮らす下宿のおばさんまで三崎千恵子と、「男はつらいよ」キャストがキッチリ投入されている。

後半には「馬鹿」シリーズのハナ肇が牢に入ったヤクザの親分役で貫禄を見せているし、その子分が佐藤蛾次郎である。

その他、藤山寛美に関敬六、山田隆夫に山城新伍、美保純にコント・レオナルド他、笠智衆、冷泉公裕、桜井センリ、人見明、平田満、財津一郎、粟津號、木の実ナナ、すまけい、松坂慶子他などなど皆適役で好演している。

最後は、蒲田まつりで「蒲田行進曲」を有森が父の死を知らずに歌うシーンで終わっていくが、終いまで中々いい味わいである。

個人的には山田洋次作品中でも、上位に入る傑作である一篇。 2018/12/01(土) 08:26:53 松竹 トラックバック:0 コメント(-)
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